僕はガッツリと育児に関わっていこうという目的で育休を取りました。
つまり、自分も母親代わりができるようになろう!ということです。
しかし自分は母親代わりになることは到底できませんでした。
男性育休を取った先輩として声を大にしていいたいことは
ママの代わりが務まるなんて思うな!
ということです。
僕が男性育休を取って一番感じたことは
母はなんて偉大なんだろう
ということです。
世の中の男性育休推進論者の多くは男性の育児参加の必要性をこれでもかというほど唱えています。
しかし僕から言わせれば母親代わりなんてそうそう男に務まるもんじゃねーぞ、と。
女性の地位向上のために男性育休の必要性を訴えている人もいますが、母親代わりが一般の男性陣で務まると考えている方がよほど女性へのリスペクトが足りないのでは?と感じます。
それくらい僕は自分よりも奥さんがずっとずっと先にいるような感覚を覚えました。
僕がそう感じたエピソードを書いていくことにしましょう。
新生児への愛情は産まれたときから差があった
まず退院後初めて家に連れ帰ったときにどうにも自分の子どもだという実感が持てませんでした。
いや、誤解を恐れずに書くと、『なんだかモゴモゴ動いている物体が家にやってきたな』という印象がしばらく拭えずにいました。
そこには尊い我が子という要素はありません。
それに対して妻はどうでしょう。
産まれた瞬間から愛する我が子として接しているように見えました。
女性の場合は10ヶ月間自分の体内で一緒に過ごしていたことからその間に愛情が根付いてくるのかもしれませんが、いずれにせよどの場面を切り取っても妻の行動は我が子への深い愛情に裏打ちされているのに対し、僕の行動はどこか模範的なパパになろうとする意識が先にあって、それに追いつくように体を動かしているような感覚があったのです。
妻を見てよく感じたのは、子どものためなら自分はどうなっても構わないという覚悟ができているということです。
地震で露わになる我が子への気持ち
そのことがはっきりとわかるエピソードがあります。
生後2ヶ月のとき真夜中に大きめの地震がありました。
そのとき反射的に取った行動は、僕は自分の身を守る動きでしたが、妻は赤ちゃんを包み込むように上から覆いかぶさっていました。
反射的な行動だったので深層意識が現れていると思いますが、僕はあくまで自分中心だったのに対して妻の場合は子ども中心だったわけです。
もちろん一緒に過ごす時間が増えていくにつれてだんだんと自分の子どもへの愛情を感じる場面は増えていきましたが、それでも妻が注いでいる愛情に比べたらだいぶ劣っているような感じがしていました。
夫が母親代わりになることは、僕はおろかほとんどの男性が無理だと思います。
そもそも生物学的な機能でいっても男性は当然おっぱいは出せないし、女性が産前産後に子育てに適応するために分泌されるホルモンは男性にはありません。
そういう機能的なキャップがある上に、ほとんどの男性は物言わぬ赤ちゃんの気持ちを汲んだり、服を着せたり顔をふいたりといった動作ですら苦手な人が多いと思います。
それなのにせいぜい推奨されている1ヶ月やそこらの育休で、そのあたりができるようになると考えているなら母親代わりになれると考えていること自体が一番女性へのリスペクトが足りていないのではないかとすら僕は思います。
男性は育児に向いていないという科学的根拠
僕は育休中に本を150冊読みましたが、そのうち半分は育児に関する本です。
その中でも特に衝撃を受けたのが『ダンナのための妊娠出産読本』(講談社+α新書)という本における『そもそも男は育児に不向き』という記述です。
この本の著者である荻田和秀さんはマンガやドラマで大人気のコウノトリのモデルとなった大阪で大人気の産婦人科医さんです。
その荻田さんは「オキシントン」という脳内物質について長年研究していたそうなのですが、このオキシントンは育児行動をする脊椎動物は必ず持っていて、子宮を収縮させたりおっぱいを出したりするだけでなく、育児行動を促す作用もあるということです。
そしてこのオキシントンがメスに比べてオスが少ないのも脊椎動物に共通の特徴だそう。
また、ネズミによってはメスもオキシントンが少ない種族がいたり、逆にオスもオキシントンが優位な種別もいるのですが、オキシントンが少ない種族はメスも育児行動を取らず、逆にオキシントンが多いオスは家族をサポートするような形で育児に参加するのだそうです。
荻田さんの結論は育児に関して男は女にはかなわない、だから奥さんの代わりにはなれないことは認めて、できるサポートをできる限りやろう、ということでした。
僕は妻からの要求に満足に答えられず、関係も悪化しているところでたまたまこの本を読んで、これまでうまくいっていなかったことの理由が全て分かるような感覚を覚えました。
妻と一緒に育児に没頭していくうちに、実は深いところで子どもに対する気持ちが妻に比べて大きく劣っているような感覚がありました。
そういう気持ちがもたげるたびに「育休まで取っておいて自分はなんて最低なんだ」と自己嫌悪になりながら必死にその雑念を振り払っていました。
それがこの本を読んでなんとなく理解できたような気がして、すっと気持ちが楽になったのを今でも覚えています。
(ちなみに生後3ヶ月くらいから本当の意味で愛情が湧くようになりました)
育児に向いていない自覚を持って男性育休に挑むべし
ここまで見てきたように僕ははっきり言って大半の男性は育児に向いていないと思って行動したほうがいいと考えています。
しかしだからといって男性育休は不要だとも思っていないですし、育児をする必要がないとも思っていません。
大事なのは
「もしかして俺って育児向いていないかも?」
という自覚を持って男性育休を取ることだと思います。
男性育休を推進する自称知識人の方は父親に母親代わりをすることを求めています。
男性育休をこれから取ろうという人の話を聞いたり見たりすると、育児をやるぞ!と息巻いているものばかり目にします。
しかし僕はそれができたら理想だとは思いますが、まぁ僕に限らずほとんどの新米パパも同じく母親代わりなんて務まらない人ばかりではないでしょうか。
しかしできもしないことを息巻いてやり始めて全然うまくいかないというのは、新生児の対応で心身ともに疲れ切っている妻の逆鱗に触れるには十分です。
何を隠そうこの僕自身が、母親代わりをやってやろうじゃないかという気持ちで育休に突入し、そして妻から「ぶっちゃけ邪魔!」と言われるに至ったのです。
そこで朝の5時まで大喧嘩したのですが、最後に妻は
「赤ちゃんは私が見るからあなたはできることからでいいから私をサポートしてくれない?」
と言いました。
まさにコウノトリ先生の言う通りです。
僕はこの瞬間に自分は母親代わりにはなれないことを認め、諦めました。
そしてこのときから全てがうまく回り始めたのです。
いや、母親代わりを立派にできる人も世の中にはいると思います。
しかしそれが多数派かと言われたら絶対にそんなはずはない。かなりの希少種です。
そんな希少種しかできないようなことを掲げて育休に突入させたら絶対にうまくいくわけがないのです。
まして義務化されて大した覚悟もないままに連れてこられたならなおさら・・
何回も言いますが、僕ほどダメな夫は少ないと思いますが、それでもなお僕は母親代わりにはなれないことを認めたほうがうまくいく男性が多いと考えていますし、僕のブログで調査したところ、育児経験者のママさんのほとんどが僕の意見に賛成してくれていました。
僕は母親代わりになろうという考え方で男性育休に突入してしまうと無数の屍をさらすことになるのではないかという危機感を強く持っています。
では、男性が育児に不向きだと認めた上で男性育休をどう過ごしていけばいいか?という話を次はしていくことにしましょう。
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