24時間戦えますか?
これ知っている人は僕より年上かもしれませんね。
これは栄養ドリンク『リゲイン』の有名なCMです。
バブルの象徴というか、日本人の男性が24時間働くためにはリゲインが必要だというメッセージのCMでした。
現在では働き方改革がだいぶ進んで「24時間働け」なんて言った日には労基署からコンプライアンス委員会からすっ飛んできて大目玉間違いなし。
しかしそんな現代にあってもまだ「24時間戦えますか」がまかり通っている古き良きジャパニーズカルチャーがあります。
それは『日本の育児』の世界です。
僕は男性育休を取ってみて日本の育児観は率直に言ってトチ狂っていると思いました。
育児界では自分の時間を全て投げ出して24時間付きっきりで我が子に尽くすのが当たり前、それが日本ではびこっている『育児の常識』なのです。
リゲイン飲んで24時間働いていた時代ならまだわからなくもないのですが、パパは定時になるとチャイムがなって一斉退社の世の中では隔世の感すらあります。
しかもこの『常識』は自覚として求められるレベルを超えて、他人から堂々と真顔で押し付けられます。
実際に色んな立ち位置の人が親としての『べき論』を展開していて、これから育児をしようとする新米ママパパを苦しめています。
ただでさえ育児はめちゃくちゃ大変なのに、外野からアレヤコレヤと『べき論』をぶつけられるのは正直しんどいです。
その日本に蔓延している育児に関するオールドファッションば『べき論』3つを順番に書いていきたいと思います。
オールドファッション① 育児=滅私奉公
まず日本における従来の育児の根底にある考え方は”滅私奉公”です。
”母親たるもの自分を犠牲にしても子どものために尽くすべし”
そういう考え方が日本には根強くあるように思います。
そしてこの考え方が現代の若者から子どもを遠ざけている原因になっていると考えています。
僕のブログを通じて交流があった海外在住の方によると、欧米では0歳児でもベビーシッターや託児所に預けて親がディナーやミュージカルに行ったり、勉強をしたりというのは一般的だということです。
欧米では親であっても自分の時間を大切にするという価値観なのでしょう。
一方で日本でこのようなことをしているとたちまち親失格の烙印を押されてしまうような空気をひしひしと感じます。
以前女優の橋本マナミさんが出産した翌月にリモートでテレビ出演したところ、産後すぐの時期に仕事をしたことについて「子どもを放置して仕事なんて母親の自覚がない」という批判があったと言っていました。
恐らくリモート出演なのでわずかな時間だろうと思いますが、それでも許せない人が多くいるのが日本の現状でしょう。
またのちほど紹介しますが、ネントレという子どもを寝かしつけるための方法論があり、いくつかの流派があるのですが、ジーナ式という海外で最もメジャーなネントレ法ではクライアウトという子どもが泣いてもしばらく様子を見るという手法があります。
僕のブログの読者の方がそれをやっていると言ったところ市の職員の方に
「自分が眠るために子どもを犠牲にして親として正気なのか?」
と言われたそうです。
これらの怖いところは相手に嫌な気持ちにさせようと言っているのではなく、心の底から親の道に外れていると思い込んでいるところだと思います。
つまり、少しの時間でも子どものために時間を使わないのは親失格だというわけです。
悪意のある悪は対処できるが、一番たちの悪いのは悪気のない悪だ、という言葉が思い出されます。
もちろん欧米の価値観だからそっちが正しいと言っているわけではありません。
しかし多様な考え方を尊重したり、時代の変化に合わせて価値観を見直していくという現代では極めて当たり前の姿勢が育児観には欠けているのではないかと思わざるを得ません。
思えば仕事でも自分のためにはたらくというよりも組織のために尽くす滅私奉公が当たりでしたし、それがこの小さい国を現在の地位に押し上げた面はあると思います。
その意味では男は仕事、女は家庭で滅私奉公するというのはある種釣り合いが取れた状態であったわけですが、昨今の働き方改革や女性の社会進出議論の中でそのあり方が見直されるようになりました。
そして働き手は徐々に滅私奉公というよりも自分らしさが尊重されるようになり、ワークライフバランスという言葉に見られるように遅くまで仕事はせずに家庭や自分の時間も大切にするという流れになってきています。
その一環で男性育休の議論も組み込まれているというのが今の立ち位置でしょう。
今では「寝ずに働け!」というようなことを言うのはすっかり野暮で常識はずれ。
プライベートと仕事の両立、ワークライフバランスが良しとされる世の中に変化してきています。
その意味では仕事に関してはだいぶ自由や自分らしさが重視されるようになりました。
しかし一方で育児はどうでしょう。
冒頭書いたような滅私奉公の価値観がいまだに根強く、「今日は子どもを預けて夫婦水入らずで過ごしてはどうでしょう?」というような空気は一切ありません。
むしろ「寝ずに子どもの面倒を見るのが親の当たり前」という空気が依然としてあり、仕事の価値観の変化に比べると一歩もニ歩も遅れています。
「寝ずに働け!」というようなことを言うのはすっかり野暮で常識はずれなのに、「寝ずに子どもの面倒を見るのが親の当たり前」という考え方がまかり通っているのは不思議です。
むしろ男性は死ぬほど働き、女性は寝ずに子どもを育てるというある意味平等だった時代から、男性はアフター5を満喫できるようになったのに、女性は変わらず寝ずに子どもを育てているというような状況になってしまって夫婦の距離が遠のいているケースすらあるのではないかという印象すらあります。
オールドファッション② 育休=育児専念
こちらも上に書いたこととつながりますが、育休=育児専念という思い込みもかなり根深いものがあると感じます。
昔NHKのアナウンサーが育休中にパーティーに出席していたことが話題となり、大いに叩かれていたことを覚えている方もいらっしゃるかもしれませんが、育休中に育児以外の時間を過ごすことに対する世間の目は厳しいものがあります。
しかし育休というのは育児休業。
休業=仕事を休むということですから、本来仕事をしていた時間相当を家事や育児に充てさせてもらうシステムです。
働いている人でも24時間働いているわけではなく、仕事をしている時間は自由な時間を使いっているわけなのですが、育休を取るとなるとそういう自由時間は一切認められず寝ている時間以外は全て育児に専念しないとおかしいと考えている人が少なくないのです。
なぜ1日8時間の仕事の時間を育児に替えたら仕事以外の自由時間まで没収されるのでしょう??
ちなみに僕は育休中に勉強していると言ったところ、
「育休中なのに?」
という反応を受けたことがたびたびありました。
僕はもともと勉強するのが好きだったので、育休を取る前から日々色んな勉強をしていました。
僕からすると元々仕事の余暇でやっていたことを育休中も続けることは自然なことだったのですが、こういう反応のほうが多かったことに驚きました。
(まぁ勉強習慣のない人が勉強する人の足を引っ張るのは小学生から続く日本の伝統芸ですがね)
確かに毎日8時間働いていたので、育休中は8時間だけ育児をしてあとの時間は子どもを預けて好きに遊びます、というのは程度が過ぎると思いますが、先に書いたようなたまに子どもを預けてゆっくりするということが全く認められないのはいかがなものでしょう。
これも寝ている時間以外は全て仕事をすべしという往年の滅私奉公システムのミラー版というべき思考だと考えれば辻褄は合いますが、仕事のほうは働き方改革でその滅私奉公システムは徐々に崩壊していっているのに対して、育休の方はいまだ昔のままストップしているわけです。
オールドファッション③ 育休=育児休暇?
育休を育児休暇の略だと思っている人が多いのですが、実際は「育児休業」です。
つまり、「育児のために仕事を休む」ことを意味するのですが、休暇という言葉でイメージをすると夏季休暇、有給休暇などと同列に考えて、バケーションという色が出てしまいます。
傾向としては育児に関わってこなかった人にそういう印象を持たれることが多いのですが、僕も育休を取るときに「ゆっくり休んでね」とか「ごゆっくり」とか「人生の長い夏休み」みたいな言葉をすごくかけられました。
しかし実際の育休は毎日が24時間営業でロクに睡眠も食事も取れない生活で、いわゆる夏季休暇で満喫しているときはおろか、働いているときよりも追い込まれている感じすらあったわけです。
言った当人には当然悪気はないと思いますが、これほどまでにイメージと実態とがズレてきてしまうとやはり辛いものがあります。
しかしこれが僕が男であることだったり、僕という人間を見てどうせ家でゴロゴロするんだろうと思われているためならまだわからなくもありません。
そのため、以前一度僕のブログで育休経験者の女性に育休の際に「ゆっくりしてね」といったような声をかけられたことがあるか?というアンケート調査をしました。
その結果、実に9割近い女性がそういう経験があると回答したのです。
僕はこの結果に驚愕してしまいました。
ワンオペ育児をしている人がゆっくり過ごしていると思われているという事実はとてもじゃありませんが見過ごすことはできません。
「ゆっくりできると思うなら一回代わってあげれば?」と思ってしまいます。
トチ狂った育児観こそ少子化の原因である
日本の少子化が止まらないのは男性が育休を取らないからではなく、上に書いたような価値観の押しつけにうんざりしてしまうからではないかと僕は心底感じます。
僕は8ヶ月間の育休を取っている間、あえて意識的にそうした面もありますが、ひとりで自由行動したのは合計で10時間もありません。
夫婦で育休を取っていたのでやろうと思えばできましたが、ひとりで育児をする大変さを痛感するためにやりませんでした。
自由に外出したのは妻がママ友と子どもを連れて遊びに行くときだけ。8ヶ月の育休の期間で一人で外出したのは1日2〜3時間の3日間です。
この時間はカウンターでラーメンを食べて、本屋で本を買ってスーパー銭湯でマッサージしながら本を読むということだけでこの世の極楽を感じました。
それなのに仕事に行っていれば好きにランチを食べて飲みに行くことができます。
帰り道に店によって買い物をしたりということもできます。
僕が極楽と感じたことなんて何が楽しいのか?と思うレベルではないでしょうか。
育休を取らずに働いていれば、「今日はどうしても部長に誘われちゃって」とかいくらでも理由をつけて遊んで帰ることができたと思います。
実際は超前のめりで参加しているのに妻の前ではイヤイヤ参加するフリをするのはほとんどの既婚男性がやっていることだと思いますが、働き方改革によってますますアフター5の自由度が増しているわけで、家庭で育児観の枠にはめられた妻との格差はどんどんと広がっているのです。
日本のトチ狂った育児観は確実に男性育休を阻害し、孤独な女性をたくさん生み出しています。
トチ狂った育児観は男性育休まで阻害している
そして残念なことに男性育休についてもこれまでの育児観をそのまま持ち込んだような論調が多く見られます。
男性で育休を取るというのはまだまだ後ろめたい気持ちになるものですし、いくら法律で禁止しても最悪のケースとして職を失ったり閑職に追いやられたりする人も世の中にはいます。
少なくとも仕事している限りは最低限の格好はつくわけですから、誰が好き好んでわざわざ職を失いかねないリスクを犯して全く個人の自由が尊重されない育児の世界に飛び込むでしょうか。
つまり多くの男性にとって男性育休は
- 仕事を失いかねず
- 収入が減り
- スキルが錆びつき
- 自由時間を奪われて
- 慣れないことをさせられる
時間でしかなくなっているのです。
これでは実態として男性育休が普及しないのは無理もありません。
育児を語るのは2種類の人しかいない
育児を語るのは2種類の人しかいないということ。
それはこれです。
①育児の苦労を知っている人
②育児の苦労を知らない人
賢い感じで言えばMECE。
普通に言えば何を当たり前のことを・・!
というところかもしれませんが、これ非常に大事な分類です。
というのも育児をやったことがある人で育児が大変じゃないと思わない人はいないと思います。
なので、①の育児の苦労を知っている人というのは大体育児経験者ということになります。
一方で②の育児の苦労を知らない人というのは、次の2つに分類できます。
A.子どもがいない人
B.子どもがいるのに知らない人
つまり、世の中には育児経験者と子どもがいない人と子どもがいるのに関わらなかった人の3パターンしかいないということになるわけです。
この相容れない3パターンの人たちがそれぞれの育児観を形成し、新米ママパパを苦しめているのです。
日本の育児観の時間は止まっている
実は番外編としてこんなものもあります。
腹を痛めて産むことに価値があるとかいう意見
僕も妻が妊娠して初めて知ったのですが、出産時に陣痛の痛みを和らげるための麻酔を使う『無痛分娩』という手法があるそうです。
しかし、色々調べていると
「痛い思いをして産まないと母親の自覚が生まれない」
みたいな意見があって驚いた、というか笑いました。
しかもたまに男性がこの意見を言っている人もいて驚いた、というか笑いました。
てめぇ出産している横で同じ痛みを味あわせてやろうか?
きっと二度とそんな口はきかなくなるでしょうね。
欧米ではほとんどの人が無痛分娩を選択するそうですが、日本ではわずか数%とのこと。
もちろん無痛分娩には麻酔を使うのでリスクはあるし、お金もかかります。
なので、そういう「痛いのが偉い」以外の理由によって選ばれていないケースもたくさんあると思います。
僕の妻は無痛分娩がいいと言っていたので、僕はお金を払って痛みが和らぐなら二つ返事でOKしたし、産後の回復も早いというので迷うことなく無痛分娩にしてもらいました。
飛行機は墜落が怖いから自動車で行く
たまにいやいや自動車にもリスクあるがな!というツッコミを入れたくなるような誤った比較をする人が世の中にはまだまだいます。
無痛分娩にリスクがあるのは間違いありませんが、だからといって自然分娩に全くリスクがないんでしょうか?
無痛分娩にリスクがあるからダメだと言う人には自然分娩のリスクもきっちり説明できるんですよね?
と言いたい。
それができなきゃ飛行機が怖いから自動車で行っている人の可能性があります。
母親の苦痛はどうでもいいというのは立派な滅私奉公脳
自然分娩のほうが胎児へのリスクは少ないのかもしれませんが、胎児のリスクが少なきゃ母親は痛みを受け入れろ、という考えは立派な『滅私奉公脳』です。
僕の姉はあまりにも出産の痛みが辛すぎて第二子は諦めたと言っていました。
もしかしたら無痛分娩で出産していたら第二子を考えていたかもしれません。
「腹を痛めて産んでこそ母親」とのたまう方、あなたたちの年金を支えてくれる若者が減ってもそんなこと言えますか?
まとめる
ここまで見てきてわかることは日本における育児観というのは時代に全くついて来ておらず、男は死ぬほど働き、女は家庭を守るという時代から全く変わっていない印象を受けます。
自分が男性育休を取ったときも、周囲の話を聞いていてもこういうトチ狂った育児観を押し付けられる場面はめちゃくちゃありました。
そして何より怖いのはそのおかしさに無自覚なことです。
一方では働き方改革を推進しながら、片方では「24時間戦えますか?」の頭でいるという矛盾に気づいていない人はたくさんいます。
たとえば自分は定時と同時に飲みにいくのに、託児所に預けて飲みに来ている人に対して「親として大丈夫か?」と思っちゃうみたいな。
こんな世界だと子どもを望まない人が増えていくのも仕方ないかなという印象を受けます。
少子化にしているのは育休を取らない男性というよりも、こういうオールドファッションな育児脳だと僕は思います。
僕はそういう育児脳を脱して、育児中であっても自分らしさを保てるような育児のやり方を発信していきたいと考えています。
少しでもオールドファッションな育児脳に苦しめられる人を減らせたら幸いです。
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